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2007年01月18日

『新年会&五木寛之さんとの再会』

ある新年会 
 私含めて8名の映画プロデューサー連中で新年会食をしました。場所は、四谷4丁目にあるレストラン『スペッキオ』。大間マグロのカルパッチョ、メインの魚料理が北海道のタラ、肉料理がカナダ産のイノシシ――。高級シャンパン、ワインが絡んでリッチなディナーになりました。
 小説大賞をはじめポプラ社作品の映画化を率先して進めようというプロデューサー・グループですが、昨年は実現化まで至りませんでしたが、「今年は第2回小説大賞も含めて拍車をかけて行きましょう!」という主旨でした。
 現在トムスと共に進めているポプラ社原作絵本のアニメーション映画も、チームで進めている実写映画も、今年はなんとか実現できそうです。
 冒頭はポプラ社の坂井社長、奥村取締役も加わってしばしの出版、映画談義から始まり約二時間半。楽しい会合でした。

五木寛之さんとの再会
 何の気なしに訪れたポプラ社社長室で、偶然五木寛之さんと再会しました。
坂井社長と出版打ち合わせの最中でしたが、私を認めると五木さんはにこやかに手を差し出して下さいました。
 「再会」と言っても、もう17、8年振りになるでしょうか。五木さんがホストをなさっていたラジオの深夜番組にゲストに出演して以来です。
「私の原作をこんなに長い間、持っている人も珍しいんですよ」
 五木さんが苦笑しながら言いました。
 もう三十年も前に私が原作をいただいた『ソフィアの秋』のことです。
「そうおっしゃられるとこの場から逃げ出したくなりますよ」
と、私。
「あなたのことはよく色々な機会に出てきていたんですよ。もうお金とか名前とかでなく、何か気の合った人たちでやりたいと思っていますから、是非一緒にやりましょうよ」
 と相変わらずの優しい眼差しの五木寛之さん。
 既に七十歳を越えている五木さんですが、いつまでも若々しく、『さらば、モスクワ愚連隊』でデビューした頃の青春心は消えていません。
 最初にお会いした私が二十代の時のことから、私が『ソフィアの秋』について書かせていただいた散文のこと、チェコ・プラハの話しから、プルガリアのイコンの話し…三十分くらいの雑談でしたが、「創作する」ということに関する大きな「元気」をいただいた気がしました。
 今年はステキなことができそうです。

 

 

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2007年01月04日

『瀬戸内海を眼下に初日と対面』  

 年末の28日に日刊スポーツ映画大賞、石原裕次郎賞の式典に出席して年末の行事を総て終えると、翌早朝、帰省ラッシュの羽田空港から四国今治市に向かいました。元旦まで3泊4日のヨガ合宿に参加するためです。
 ――何で年末年始の時期に?
 と訊かれそうですが、ここ半年の間引きずったままの腰痛を改善する目的もあるし、ここ二年間ほど密かに進めてきている映画プロジェクトも具体的に動き始めますし、個人的にも新たな出版話しがいくつかありますし……そして何よりも「2007年問題」と取り沙汰される年に、還暦で迎える新年の自身への、気をひき締める、意味合いが大きかったです。
 合宿場所であった仙遊寺は四国霊場八十八ヵ所の中の五十八番目の札所です。
 朝6時に起きて一日2回二時間半のヨガを中心に、瞑想したり、ウォーキングしたり……途中に自由時間は他の参加者と交流したり(これはこれで、皆他業界の人なので新鮮でした)……原稿を書いたり…で、結構充実していました。
 生まれて初めて除夜の鐘をつき、新年の護摩焚きをし、瀬戸内海を挟んだ肌等かな山並みの向こうから昇る初日と対面しました。
 一日夜に帰京すると、二日に親族の集まりがあり、三日には3月出版予定の本の打ち合わせと、シナリオの打ち合わせがありました。早くも動き始めた2007年――どんな年になりますか?

P・S. 年末の19日に母が他界しました。八十八歳の大往生で知人たちの大半は
すでに存命でない為、親族だけで葬儀をとり行いました。
後にそのことを知った多くの方々からご弔意をいただき有り難うございました。
また、この場をお借りして不連絡のお詫びをいたします。

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